始まりはパニックから
遡ること6年前。
当時所謂コールセンターに就業し、派遣社員から直雇用になった頃でした。
私が在籍していたセンターは総勢50名いかない程度の人数で電話を取っていました。
年中無休の朝から夜8時までのセンターなので、4班に分かれてのシフト制。
仕事内容も個人的には好きでしたし、私のような平スタッフ間の仲も良かったのです。
ただ50名もいれば苦手な方だって少なからずいました。
その中の1人が班のリーダー(と呼ばれる正社員)です。
スタッフに対する好き嫌いが分かりやすい方でした。自分が好きな、自分が育てた特定のスタッフに対しては「分からないことない?」「難しそうなら代わろうか?」「この前話してたらお菓子あったから買ってきた!」といい意味で世話焼きな方でした。
その逆は…基本関わりたがらない、なのにミスには敏感で耳ざとい。私に対しては後者でした。
私自身そのリーダーが苦手でしたので、色々出ていたのでしょう。表情とか視線とか…。
私たちの班(の中でも更に一部)が遅番だった日。
割とギリギリまでコールが入っており、終話しては「大変お待たせ致しました」とすぐに取る繰り返し。私は比較的捌ける内容が多かったので、次から次に取っていました。
5件ぐらい連続して取ったのですが、内4件は最初から怒鳴り声でしたね…。結構心が折れるものです。
リーダーも一緒に電話を取って下さっていたのですが、しっかり私の応対は聴こえていたのでしょう。
その日全てのコールを取り終わったあとに「あの応対はどうかと思う」「申し訳ないという気持ちが伝わらなかった」等怒涛のダメ出し。
折れていた心が更にくしゃっと潰れるような、そんな感じでした。
翌日出勤。
でも様子が変…とは何となく思っていて。
職場の最寄駅がどんどん近づいてくるにつれ呼吸が浅くなったり、手先が震えたり。
エントランスを潜る時は泣きそうな、そんな状態でした。
ロッカー室に入り、デスクに持っていける物と貴重品を分けてロッカーの鍵を閉め
ロッカー室から出ようとした時にはもう号泣。
デスクに行くことが耐えられない程恐怖でした。そこから過呼吸。会社のルールで救急車を呼ばないといけなかったらしく、気が付いたら救急隊の方に囲まれそのまま病院へ。
過呼吸は高校生の頃何度か体験しているので、「救急車⁉︎そこまでしなくていい‼︎」と驚いていた記憶があります。笑
その日から1週間お休みを頂くことになりまして、休み明けの出勤。その日リーダーは休みで不在でしたが、デスクに座ると震えが起こり泣き出してしまう始末。電話を取ることができませんでした。
出勤時に動悸、震え、冷や汗、その内乗らなきゃいけない電車を目にすると駅のホームで泣く。
そんな日が半月程続いたでしょうか。さすがに上司から病院に行くことを勧められ、自宅近くの主に漢方を処方してくれるかかりつけの内科に行きまして。
軽い物だったら安定剤のような薬も処方して貰える医院だったのでそこに。
勿論先生は精神科医でも心療内科医でもないので、「断定はできないが」という前提で(その当時の言い方として)パニック障害だろう、と。
放っておくと悪化してうつ病までいくこともあるので、無理はしない方がいい。
仕事内容も見直してもらった方がいい。可能であればリーダーと離れるように相談してみては?
とアドバイスを頂きました。
日々何とかして職場に行き、1本でも電話を取ればそこから復活する!という根拠のない解決策しか考えていなかったため、そういう無理をしないとか仕事を見直すというのを全く考え付かなかったのを覚えています。
そこから現在に至る通院、投薬治療がスタートしました。