黎明を漂う

5年の通院期間で3回転職したアラフォー女の日記

就業開始

6月から新しい所での就業となりました。

某食品メーカーの営業所での事務職です。

勿論私も知っているメーカーなので、どんなデカイ事務所だろう?と思っていたら

あくまでも“営業所”なので、限られた部署のみのコンパクトな事務所でした。

配属された先は責任者(男性社員)と先方直雇用の事務員2人の計3人のみ。

同じフロアには3部署が入っていましたが、一番人数も少なかった割にいつも(良く言えば)活発な議論を繰り広げいる明るい部署でしたね。

楽しかったです。

 

数ヶ月前までそこには派遣社員がいたようなのですが、詳しい原因は不明のまま

「合わない」との理由で辞めていたのだそう。

何かと心を砕いて親切にして頂きました。仕事を教えてもらうスピードもとてもゆっくりだった記憶があります。

17時の定時で上がることが何故か申し訳なく感じていた程です。

別に残業したかった訳ではないんですが、居心地が悪いというのか…。

 

そんなペースで仕事をさせて頂きはや3ヶ月程。

結果私の仕事のメインとなる仕事を教えて貰うことになりました。

営業から届く出荷依頼書にてしかるべき場所へ商品の出荷処理をする仕事です。

最初は20箇所に3つの商品を出荷する仕事でしたが、最終的には30箇所以上に4つの商品の出荷となるまで営業さんが拡大していきます。

 

電話は鳴るけども基本的に取引先からの電話なので、お客様と直接お話する機会もなく

主治医が言う所のザ・事務‼︎という内容でした。

この頃になって薬がかなり減っていきました。

毎食後に飲んでいたものが、朝食・夕食・就寝前に変わり、ソラナックスが頓服扱いになったのもこの頃です。

別に仕事に行くことが億劫だったわけでもなく、「楽になりたい」と思うことも少なかったです。

割と安定していました。

出荷処理をメインに他はファイリングや既に準備されいた各所への請求書の送付準備など、

先輩方が日々の業務の中で手が回らないところを手伝っていました。

 

登録している派遣会社の私担当の営業さんは月イチの割合で様子を見に来られていて、

その際に出向先の責任者と話す機会を設けていたので、都度先方に言われていたのが

「業務量を増やしてもいいだろうか?」というようなことだったそうです。

特に問題なく感じてはいましたが、先方が二の足踏みするをするというのか…。

というのも、今度私に教えようと考えている仕事を前回の派遣社員に伝えたところ、

「私には無理です」と言われたようで、それで悩んでいると。

何にせよ一旦内容を聞いてみたいな、と思ったので正直に伝えました。

 

 

仕事決定

2度目の就職活動は割と直ぐに終わりを迎えました。

地元で事務職シフト制である所を見つけました。

派遣会社の事務です。

 

派遣会社って小中規模の所もあるんだなー、なんて失礼なことを考えたものでした。

地元密着型というのか...。

 

すぐに登録会に参加し、自分の状況を伝えその上でこちらで働きたいんです!と。

そしたら数日後

「派遣スタッフとして働きませんか?」

と連絡が。

派遣スタッフですかー、と渋っていましたが

直接ここで働くよりも時給が高い

完全に事務職

年末年始、ゴールデンウィーク、お盆と休みが取れます

何より毎週水曜が休みなんです

↑もうこれが決定打でした。

 

地元ではありませんが車で片道30〜40分

行けない距離ではない。

よし。

話を聞きに行きます!と返事。

割と早い段階で先方に伺い、OKの返事を頂き

前職辞めて半月程で次の仕事が決定しました。

 

保険見直し

うつでパニック障害でそこにADHD

この頃薬は1日で10錠近く処方されており、飲んでないとまともに生活することが困難でした。

自立支援医療を申請していたのでそんなに高額になることはありませんでしたが、2週間分で2000円は超えてたような...。

ただただ高い!

それに尽きます。

 

この頃悩んでいたのは20代の頃に契約をしていた保険でした。

割と稼いでいた時に契約をしていたもので、当時の私には高額だったんです。

それで担当の方に時間を割いて貰ってご相談。

「見直したい」

「もう少し安くならないか」

と相談を持ちかけたらそれはもう当然

「何故ですか?何かありました?」と言われ。

話せば話す程何だか自分を情けなく思い、

たった2万の保険を更に安くとか...と。

でももうしんどかったんですよね、そのお金すら。

それでも担当の方は親身に相談に乗って下さり、「私も大病患って」と。

働きたくても働けない時だってあって当然です。そこで無理をしては本末転倒なので考えましょう!と快く受け入れて頂きました。

ただ、そういう精神的な疾患があると今契約をしている生命保険は継続ができません。

と言われました。

そりゃそうだよなぁ...なんてぼんやり考えたものです。

それまでの仕事を辞めた後とはいえ、やはり急に「楽になりたい」と考え込むことがあって、ODとかどうだろうか?電車はいかん、など。

そんな状態なのに生命保険て!笑

結果医療保険のみ契約続行で、ランクを下げ月1万程にまとめて頂きました。

何とかまだ払い続けています。

 

病気になったっていうのも衝撃的ですが、生活を見直していく必要があることに1年程かかって気付けました。

 

 

 

 

ADHD

ADHD...と言われた際に頭の中は

「なんぞそれは?」だらけ。

発達障害の一種で注意欠如多動性障害の略語よ、と説明を受けました。

発達障害

私個人のイメージだと、授業中にじっとしてられなくてガターン!席から立って暴れる...。

そんなイメージでした。

「いや、そんな子供時代ではなかったと思う」

と伝えた所、ADHDは一見分からない傾向が高く、

そわそわする

同じ事を何回も間違う

継続することが困難

色んな所に意識がうつるので、目の前のもの・ことに集中できない

など。

一致していた部分が多くて驚きました。

何より継続することが困難、これに尽きます。

小学校低学年の時から長期休みの際の宿題を全てやり切ったことがなく。

あっちができてたらこっちが抜けてた...なんてしょっちゅう。

自由研究...出来上がったことないですね。

朝のラジオ体操最初の2〜3日のみ。それが小学6年生までずっと。

休みの最終日に本気で取り組み勿論終わらない、そんな感じ。

高校生まで割とそうでした。

 

詳しい検査はしていませんが、子供の頃からの傾向を話し主治医が「ADHDの傾向が強い」と判断。

ドアの開閉音、空調の音、そんな些細な音にも注意が削がれてしまい、それまで自分がやっていた目の前の仕事を「どこまでやった?」となり、再度最初から確認。

効率も悪すぎて全然仕事が捌けず。

そういうのは「ADHDの傾向があるから」と考え直しましょう、と。

ADHDは脳の機能の問題なので、あなたの人格とか性格の問題ではない。

これは上手いこと付き合っていく必要がある、と滔々と説明して頂きました。

 

ということで、その時から処方される薬の中に

コンサータが加わることに。

その上で仕事は完全な事務職であることが望ましいという指示も追加されました...。

就職活動再開

家族にはざっくりと説明した記憶はあります。

細かな所は省略しました。言えなかったですね、ミスが頻発してどうしていいか分からなくて

辞めてきた、とは。

情けないです。

 

そうは言ってものんびりは出来ませんので、すぐに就職活動を再開しましたね。

忠実に主治医の出す条件に従って職探し。

前出した条件プラス営業事務もNGと判断。結局あの職場での事務って営業事務要素が強かったな、

と判断したんです。

オペレーターが獲得した商品の発注処理、各方面から届く請求書の管理、返品対応、通常の電話対応…

毎日何かしらの締日、タイムリミットがある仕事でtodoリスト作成してもそもそもリストを紛失したり、書き出しを忘れたりするので自信が無く。

決められた仕事を決められた通りにこなしていく、そんな作業系の仕事がいい!

などと考え職探しを続け、合間に通院、そんな日々。

 

主治医との話の中で一つ見えたものがありました。

「もしかしてADHDかも」

と主治医が言ったんですね。

ADHD

耳慣れない言葉でした。

退職

症状の悪化に加えてミスの連発。

最後は部長レベルの方まで出てこられて「今の状況をどう考えてるの?」「次はないよね?」

というようなニュアンスのことを言われると、私も頭がサーッと白くなり

「改善策を考えます」とか「申し訳ございません」としか言えず。

 

通勤中にパニック発作を起こすことはありませんでしたが、

最寄駅を降りて職場まで歩く間に良からぬことを考えていました。

割と頻繁に。

大通りだとどうしようもないけど、1本入ったあの路地歩こう。

ギリギリ車道近くを歩こう。

そのうち誰か轢いてくれないかな?

希死念慮が出てきた頃でした。

家に帰れば部屋にこもって楽になれる方法を検索。どうして「遺書」というものがあるのか?

そんなことを知ったのもこの時期でした。

 

ここまでくる前にもっと色々対策打てたはずなんですけども…その当時は考え付かないもので。

 

ある日出社直後呼び出しをくらい、違う課の責任者の所へ行くとかなりご立腹。

「もうこれで何回目か」

「またあなたが入力したオーダーにミスがあった」

「キャンペーンの割引を忘れている」

「このミスのせいでオペレーターは無駄な時間を取った」

そうですよね、無駄な時間を取らせてしまいました。

私が代わりにお客様に連絡をしお詫びします。

「私が納得する答えを言って、それまで現場には戻せない」

もう反省の弁だけではどうにもできず、対策を考えようにも頭が回らず。

「これ以上私が出社してもご迷惑をかけるだけですので、辞めます」

と伝えたらば

「そ、いつ?」

と返され「本日この時点でお願いします」

なんて言っていました…。今後のことなんて何も考えていないのに。

そこから早かったー。

あっという間にデスクに戻って、既に上司が準備していた一筆箋に退職届を書き、

自分の持ち物を片付け、いつものような挨拶だけして退職でした…。

仲良くして下さっていた隣の席の先輩にも言えず、まさか今日退職するなんて思ってもいなかったので

諸々準備しておらず、自分のデスク用品とか殆ど持ち帰れず破棄。

 

こんな呆気なく退職ってするんだ…。

暫し呆然。でも明日からここに来なくていいんだと思うとかなり安堵。

たった2ヶ月ちょいの仕事でした。

誰にも相談せず勢いで退社してしまい、「どう説明しよう」と焦っていた面もありましたが。

うつ診断がついて初の転職

新しい職場は化粧品の通販会社での事務でした。

事務とはいえ新人ですし、いざという時(お問い合わせの電話)に回答できるようにと

2週間程最低限基礎的な研修を受けました。

10人程度一緒に入った同期もいて、みんなそれぞれ個性もあり仲良くできていました。

そして実際の現場に。

同期の内事務を希望していたのは私含め3名だったと記憶しています。

 

ところが、なーんか違うんです。面接の時に聞いていた話と。

割と受注の電話を取る機会も多く、勿論お問い合わせの電話も。

人が足りないわけではなさそうなんですが…。

あとは…なんとなく愛社精神が凄かった…

朝礼は勿論、遅番のメンバーも朝礼のような形で伝達事項を伝えられる機会がありますが

必ず社訓?を斉唱。

すぐ隣で受注の電話を取っていようが構わずに。声のボリュームは落としていましたが 笑

「私たち会社大好き!」

「この会社で働けることを誇りに思います!」

みたいな。いや、大切なことだと思います。そこからスイッチが入る人だっているかもしれないし。

でもまだ入って半月程度就業した位じゃ分からなかったんです。

 

日々の業務内容は幅広くやらなければならず、常に時間を気にするような感じ。

基本的にFAXや手紙ハガキで購入依頼をされた方の受注入力が殆どでした。

そこから色々増えていき、返品対応、宅急便の手配、オペレーターの方達が顧客との会話の中で

判明した、転居に伴う住所・電話番号の変更手続きなど…。

常に締日、時間を気にしていなければならず常に頭の中がワー‼︎となる状態でした。

 

ていうかそもそも受信、発信担当があんなに在籍しているのにあの人数しかいない事務もどうなんだろう…と今では思えます。

 

プラスして週に1回勉強会とその確認テストが実施。

事務も例外ではなく必ず参加。勉強会の時に公休だった場合は勉強会時の動画を必ず視聴し、

テストを受けなければならなかったんですね〜。

確認テストは○✖️だけではなく、語彙群からの選択、記入するものもあってガチの試験なニュアンスでした。なのでちゃんと勉強しないといけないんですよね…。

自分でこの会社を選んだとはいえ片道1時間の通勤、家に帰っても疲れて集中できない、通勤時間にやってはみるものの難しく理解できない部分が多数。まぁ毎回結構な酷い点数でしたね…。

 

そんな日々が続くと頭の中がもや〜っとしてきて考えることができなくなったり、無気力だったり、服用する薬についても変更が続いたり。

当然なんですが休職していた頃より悪化していったんですね。

仕事上のミスも頻発。直接の上司すっ飛ばしてその更に上の責任者から呼び出しをくらい

「あなたのミスの数は異常だ」

「新人なのにどうしてこんなに注意を払わずに入力をするのか」

「どうしてこうなるのか」

とお言葉を頂くこともしばしば。

でも私自身が分からないんですよね。注文を見てオーダーを入力し、2度3度指差し確認もしているんですが、それでも誤入力がある。出来ていたことが出来なくなる。

こうなると抜け出せなくなってくるんですよね、うつスパイラル。